人生を二回微分
実家の自分の部屋の本棚にはいまだに学生時代に読んでいた本がそのまま置かれている。なんとなく目に止まった微積の教科書を手にとって、埃をはらってパラパラとページをめくる。いまなら勉強しなおせば意外と簡単に理解できるかもしれない、とか考えつつもそのまま棚に戻して、リュックの中から黒色のネクタイを取り出す。祖母が息を引き取ったのは昨日未明。今夜が通夜となるため地元の名古屋に帰ってきた。ここしばらく、なんとなく配慮をして帰っていなかったこともあって、思わぬ形で3年ぶりの帰省をすることになっていたのだった。
連絡を受けたのは木曜日の朝。振替休日だし昼までゴロゴロ寝てようかと布団の中でジャンプ+で漫画を読んでいたところ、急に父からLINE通話があり、そこで報告を受けた。iPhoneが睡眠モードのため気がつかなかったが、深夜1時頃に母からメッセージが送られていたらしい。本来その日中に名古屋に向かうべきだったかもしれないが、自分も仕事があまりにも佳境だったため、翌日金曜の夕方に帰ることにすると父に伝えた。
両親からはいつでも働きすぎていないか心配される。就活をしていたころに母が「あんたは何かやるとき、こうなるタイプだから」と顔の両側に手でついたてを作るようなジェスチャーをして、「仕事を選ぶときはよく考えなさい」とたしなめられて、それから、知人の息子が瀬戸市の公務員になったという話を聞かされた。結局その後、東京でベンチャー企業に就職して仕事にほとんどの時間と体力をコミットさせて、実際に母の心配した通りの社会人生活を送ってしまったのかもしれない。僕に、長久手あたりで地方公務員をして一市民としてもきちんとした生活をするような人生はあっただろうか。あったのかもしれないが、それでも今の自分とこれまでの選択にはそれなりに満足している。
金曜日の朝。いつもより早めに出勤して集中してやるべきことを一気に片付けて、関係しそうな人に忌引きになることを伝えて、予定よりかなり早めに電車に飛び乗る。面倒だから喪服で出勤するという縁起が悪いやつだが、そのおかげで荷物は少なく身軽である。今回、初めてスマートEXとモバイルSuicaの組み合わせを使ってみた。山手線の車内で「(果たしてこれで新幹線に乗れるんだろうか)」という不安を抱えながら慎重に座席を予約し、少し早めについた品川駅で弁当を買う。ついでに美味しそうなバームクーヘンを見つけたのでお土産として購入した。バームクーヘンは一人暮らしでは持て余してしまうが、家族みんなでコーヒーを飲みながら食べるには最適なはず。
少し蒸し暑い昼下がり。実家の最寄駅である徳重駅に着く。それなりに早い時間だったが、代表ではないものの喪主となるためさぞかし終日忙しいだろうと考え、歩いて帰ろうと思ったが父が車で迎えに来てくれるらしい。到着するまでの間に駅併設のショッピングモール(シティセンターみたいな施設と複合施設化している)の屋外施設をうろうろする。初めて屋上まで登ったらちょっとした公園みたいになっていてとても眺めがいい。丘の上のアピタがそろそろピアゴか何かになっているのか確認しようと思ったが見えなかった。そうしている間に父の車が到着したので車に乗り込み、色々とどんな状況なのか聞いてみる。今回は家族葬で準備は葬儀屋がほぼやってくれるため全然忙しくない、とのこと。親族一同、わりと落ち着いているらしい。
祖母は97歳であった。自分が社会人になったぐらいからはホームに入り、帰省のたびに顔を出したがその頃にはもはや会話はできない状態で介護を受けており、延命に近い状態だった。元気な頃を知る自分達には痛ましい様子であり、数年前に父は「俺たちは、こういうのはなしだわ」とポロッとこぼした。その頃から自分も、ここまでして生きながらえることの意味なども考えたが、実際に大往生となる祖母には、悲しみの気持ちというよりは賞賛や前向きな気持ちになるもので、それなりに意味があったように思う。
しばらくしたら実家についた。出迎えてくれた母も特に疲れた様子もなく元気そうで安心する。3年ぶりにあう実家の猫(メイという名である)も逃げずによってきてくれた。どうやら覚えているようだ。猫はかわいい。これは自明である。しばらくすると近くで暮らしている姉がやってきた。そこで一家揃ってコーヒーを飲みながら自分が買ってきたバームクーヘンを食べる。猫は急に人が増えたことで人見知りが発症してカーテンの陰に隠れて様子を伺っている。昔、葬式というものはもっと大変なものというイメージがあり、父方の祖母が亡くなったときは葬儀場に親族一同宿泊したりしていた。それが、こうして通夜の日にもかかわらずゆっくり家族の時間が取れるのはとても良いもので、葬儀屋の仕事や儀式のスケールダウンで得られる価値に感謝をする。
適度にお腹も膨れた夕方頃。身支度をして葬儀場へ向かう。父の車に乗るのも良かったが、せっかくなので姉の車に乗ることにする。助手席に乗り込んで「前の車を追ってください」と謎の依頼をし、あとはお互いの近況報告をする。姉家族はコナンにどハマりして映画も観に行ったらしい。世間で急激に「安室の女」が増えているのは感じていたが、まさか家族にまでいるとは思わなかった。自分はまだ安室の女ではないから魅力はわからない。そんな話をしているうちに、追っていたはずの前の車がいないが、どうやら両親は一般的には難しい地元民ルートで向かったということで姉はわかりやすい大通りを選んでいた。小学校低学年の時は日進市に住んでいて、通学路近くの道を通る。今思うと、小学校はとんでもなく遠かった気がする。
そして田んぼの中にある葬儀場の建物に着いた。こじんまりとした一室に入ると、そこには盛大な花壇やお供えに囲まれた祖母の遺影に、そして棺がある。花壇には「孫一同」というものもあり、母にお金出してないけどいいかと確認したが「そういうものではない」とのことである。ちなみに遺影は写りが良い生前の写真をフォトショ的なもので加工したもので、元々はダブルピースだったらしい。会場には従姉妹の家族もいて、ちょっと会話をしたところで、顔馴染みであるお寺さんも到着して、まもなく通夜が始まると葬儀屋が告げる。お寺さんはレベルアップして再臨したような衣装に着替えて祖母の前に座り、僕らはそれを両側から囲むように席に着いた。こんなに近い位置でお寺さんの動きを観察するのは初めてで、これまでの葬式でもっとも「儀式としての葬式」を感じることができた。尚香などが終わった後、お寺さんからお経やお供えについての説明をしてくれるという家族葬ならではのフルコース仕様であったが、内容としては興味深いものの、発音がとにかく微妙で半分くらい聞き取れない。お話も長く、移動の疲れもあるせいか、つい眠くなってしまう。さすがに葬式で居眠りはダメだろうと眠気に耐えているうちにお話が終わる。お寺さんが帰ってから、果たしてみんな理解できたのだろうかと気になって母に聞いてみると「まぁお経も長いもんで、自分の親の葬式で眠くなるものか、と思ったけどまぁ眠かったわ」と笑って話す。なかなかチャーミングである。
翌日は告別式。こちらも滞りなく完了して八事霊園の火葬場へ向かう。霊柩車の先導で父の車で移動する際、たまたま自転車で大学院に毎日通ったルートを通ることになり懐かしい気分になる。入学後に研究室を変えたいと言い出すのはマジで失礼だったなとか、先行研究の論文の難解なグラフをどう再現するか苦しんでたなとか、M1の夏にシンガポールでのインターンに向かうときに飛行機に乗り遅れたけど大学の国際オフィスの人が助けてくれたなとか色々と思い出す。どうやらあれからもうすぐで10年経つことになるらしい。火葬場に到着して、祖母の棺が炉に入れられるのを見送り、和風旅館のような趣のある控室にて一休みする。昼過ぎになり少し口寂しいところに姪がお菓子をくれる。小2になったところらしいが信じられないほどしっかりしていて驚く。それに加えて姉夫婦もあらかじめみんなに飲み物を買ってきており何も準備してこなかった自分は所在の無さを感じてしまった。しばらく歓談していると部屋内放送が入り、一同は火葬炉へ向かう。炉の扉を開けると、棺はもちろん、祖母の身体も消え去ってそこには白い骨、それも一部だけが残っていた。この光景を見るのは2回目で、前回は人体が焼却されるという事実を目の当たりにしたものの特に何も考えていなかった気もするが、今回は幾分冷静に観察することができ、骨って本当に白いんだな、あれは腕の骨なのかなとぼんやりと考えながら親族で順番に長い箸で骨を骨壷に収めていく工程に参加する。これまでちゃんと儀式に参加していた姪だったが、今回は怖がって姉の背中に隠れていた。昼に彼女が読んでいたコナンの警察学校セレクションには白骨死体とか出てくるのだろうか。
すべて終わって叔父・叔母の家に向かう。ここには昔、自分達家族が住んでいた家でもあって、建物自体はリフォームされているものの庭にはまだあの日の面影がある。持ち帰りの寿司を注文するという定番の流れで、そういう時は決まって叔母が付け合わせをたくさん準備して、仏壇がある和室に集まってみんなで食べる。僕はこの時間が昔から結構好きで、またこうやってこの時が迎えられて良かったなと思いながらお寿司を頬張る。こうして集まるのはみんなそれなりに久々なようで、元気だった頃の祖母の豪快なストーリーを中心に色んな話が飛び交った。昔、こういう場で聞いた先祖の春日局の話をちゃんと聞いていなかったことを思い出し、せっかくだから聞いておこうと思って振ってみる。すごい勢いで説明を受けたものの、やっぱり詳細は頭に入らなかった。
夜になって実家に帰ってそこから翌日まで、自分が東京への帰路につくまでは、ひたすら実家情シスに取り組みながらじっくりと両親と話をした。今回の葬儀の諸々やその時あったエピソードと愚痴、祖母から譲り受けることになる資産の分け方について、空き家になってしばらくの祖母宅があるが近くのグループケアを営む人から譲って欲しいと依頼があったものの保留にしていること、父が死んだ後には母はその祖母宅に住みたいと考えていること、岐阜にある別荘地に土地があって税金がかかっている話、など。葬儀というのはやはり儀式で、故人に関わる人々へ「死」というものを強烈に印象付け、残された人と人との関わり方を見直すきっかけになる。僕にとっては両親は「次にいつかいなくなる人」となり、それに向き合うことで、自分がこれまで目を向けていなかったことが山程あることに気づく。
人は誰だっていつしか大人になる。それをどのタイミングで感じるかは個人差があるが、多くの人にとっては「子供が生まれて親になった時」なのかもしれない。一方で、自分みたいな歳の重ね方をする人であってもそういうものはあって、初めてお酒を飲んだ時だったり、一人暮らしを始めた時だったり、選挙で投票をするときだったり、初任給をもらって経済的に自立するときだったり。そんな時に自身が大人になったと、多くの人は実感するのだろう。ところが僕はこれまでどうもそういった実感を得たことがなく、いつまでも学生時代と同じような格好をして、いつまでもアニメや漫画やゲームは好きで、ライフステージがちゃんと変わっていっている友人たちを目の当たりにすると、まるで自分の人生だけが停滞していて、青春の檻に囚われているような感覚に陥ることもあった。だけど人生というものは、非連続なステージがあって駒を進めいくものではなく、実はいつだって連続的であり年齢と一緒に進捗していくもので真に停滞することはないのかもしれない。横軸に年齢、縦軸に人生進捗をとると、グラフは正の相関で常に右肩上がりで進み、傾きが負に転じることはない。ただ、それでも傾き方が変わる「変曲点」というものはあって、漸近線があるかのように限りなく平行に近づいるように見えるけど、いつの間にか傾き方が切り替わっていて、それに気づいたときには止められない急激な変化になっていることもあるのだろう。僕の人生には、まだ大きな変化は見当たらないし、しばらくはそれほど変化するようにも思えない。ただ、ここ数日で「傾き方が変わった」のかもしれない。